2015年3月21日土曜日

父親として、心が打たれた詩。

ある牧師先生が紹介していた詩です。



わが子への手紙

ある朝、いつものように私は機嫌が悪くて、朝ごはんをのろのろ食べているお前を叱った。
食器で遊んでいたので、大きな声を出した。
「口を空けて噛んでいる」と咎めた。
ぶつぶつ言いながら、服の上にミルクをこぼしたので、私はまた叱った。
そして、すぐ着替えをさせるために、力ずくで、追い出した。

学校へ行く途中、お前は一言も話さなかった。
車の座席に座ったまま、目を上げないでこわごわ「さようなら」と言った。
そして、私はただ「大人しくしていなさい」と言っただけだった。

忙しい一日を過ごして、夕方になって家に帰ったら、庭で遊んでいるお前を見た。
その時、お前は新しいズボンを着て、それを泥だらけにして汚していた。
その時、友達の前で、「着物とか靴をもっと大切にしなければ駄目だ」と言い、
また「お前に衣服を着せるために、どれほど親が犠牲を払っているかを考えなさい」と言った。
家に入って、着替えるように命じたが、私の前を歩くとき「背筋を伸ばして歩きなさい」と言い出した。

その後、お前を音を立てて、家中を走り回った。
夕食のとき、ナプキンを食卓の上に投げて遊ぶのをやめないので、私は立ち上がって怒ってしまった。
テーブルをたたいて、「これ以上我慢できない」と、自分の部屋へ上ってしまった。

少しずつ、私の怒りが静まり、あまりにも大げさに叱ってしまったことに気づき、降りて行って、なでてやりたいと思ったが、出来なかった。

お父さんは怒ったしまった後、簡単に自分の過ちを認めることができなかったのだ。

そのあと、私の部屋のドアをたたく小さな音を聞いて、お前とわかって、「どうぞ」と言った。
お前は、静かにドアを開けて、戸口に立ち止まった。
私は、まじまじとお前を眺めて、「おやすみを言いに来たのか」と聞いただけだった。

お前は何も答えなかった。ゆっくり、小さな足取りで近づき、走り出して、愛情をこめて、私の腕に近づいた。
私もお前を抱いて、声がつまりながら、お前の小さな体が軽いことを感じていた。
お前の小さな手は、私の首を強くつかみ、ほっぺたに優しくキスをしてくれた。

私の心はとても痛んだ。
「また、明日パパ」と、お前は言った。

私は、何をしているんだろう。
なぜ、簡単に怒ってしまうのだろう。
お前を大人のように見て、自分と同じように考え、要求していた。
でも、それは、確かに間違っていた。

お前には、私に欠けているもの、たとえば、本物、単純さ、善良さがあり、その上に、お前は、愛をあらわすことができた。

なぜ、私は、いつも、怒らなければならなかったのだろう。
何が私をつまらない気持ちにさせていたのか。

私も、かつて子どもだった。
いつ、私は大人の病気にかかったのか。

少し経ったのちに、お前の部屋に入って、静かにランプをつけた。
お前はぐっすり寝ていた。お前の顔は火照っていた。
口は半分、開いていた。
お前の額は汗をかいていた。
まったく無防備な子どもの姿だった。
寄りかかって、お前のほっぺたに唇を近づけ、
お前のすがすがしい香りを感じた。
涙を抑えることが出来ず、目を閉じた。

私の一滴の涙は、肌に落ちたけれど、お前は動かなかった。
私はひざまずき、だまって、ゆるしを願った。
丁寧に毛布をかけて部屋を出た。

神が私の願いを聞き入れてくださり、お前がもっと何年も生きるなら、どうか親は完全ではないが、私の過ちにもかかわらず、私がお前を自分のいのちよりも愛しているということが、分かるようになりますように。」




少し前になりますが、私が4歳の息子を強く叱ってしまった日、夜になって寝かしつけるときに、

「ダダ、大好きだよ。」

とハグをしてくれたことがありました。この詩を読んだとき、そのことを思い出しました。

長男が私のオフィス部屋に飾るために作ってくれた工作。